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2008年11月21日 (金)

日本選手権大会第二回戦

第35回日本選手権大会第二回戦

本日17時35分から行われた
三重県Honda鈴鹿さん対新日本石油ENEOS   
4−1でエネオス勝利!!!です

田澤投手注目の中ですが
本日は、清見—廣瀬—大川—沼尾という
エネオス自慢の投手リレーで きっちり抑えてくれました
これは大きな勝利です


キャッチャーの山岡捕手そして内、外野陣
我が頼もしき選手の皆さん あと三つ!

思いを一つに・・強烈に勝利を願います

がんばれ!新日本石油ENEOS!

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2008年11月19日 (水)

共働きの心得

昨日いつもの仕事で地方へ日帰りで出掛けた私でありますが
留守を頼める人が見つからないときは
家族三人がそれぞれ鍵を持ってそれぞれの場所へ出掛けます
昨日もそんな一日でした



朝息子に鍵を持たせ

「ママが間に合わないときはお願いね」
(鍵を開けて入っていてね)

と託します
これが出来る様になったのも4年生になった今年
出来る出来ないを聞くわけでなく
責任というバトンを息子に渡した訳です



家族の一員として
がんばれ!

そう、私たち親も遊びに出掛けている訳ではないのですから
仕方ないときは息子に一人で立ってもらわねばならないことは多々出てきます


学校から帰ってきて、
「お帰り」を言う人がいない
寂しさも懸念しましたが

可哀相といってしまえばそれまでで
そう思うのなら
私が働かなければよいだけです



でも仕事が好きな我が子に生まれた以上
息子には覚悟してもらわねばなりません



いつもいない訳ではなく
当たり前でない
いろんな温かさを
覚えていきつつあるようです



母がいればその嬉しさが
いなければいないで責任感が
芽生えてくれると信じて・・・



親が心配するより息子は
順調に自分で鍵を開けることにも慣れたのか
私が帰るまでのつかの間を
息子なりにリラックスして待っているようです


必須は帰る時間を記した置き手紙と
おやつ
思っているより早く帰ると
息子は必ず


「もう帰ってきたの?」

と複雑なことを言ったりします
そして留守番の日には
息子が家につく時間を見計らった電話が
私の母や妹、そして夫にもちろん私
競争するように掛けるので
息子はかばんを下ろすまもなく
ずっと電話をとる羽目になり
四人目に当たった人は
なぜかいらいらした息子に当たられることもあります



けして安心しすぎずでも頼りに出来る成長を感じながら
かけがえのない仕事をする上でのサポーターです



そして昨日
安心して一足先に帰った息子に駅についてから電話して
夕飯のリクエストを聞こうとしたときでした
新幹線の車中では電波状態がよくないこともあり
私は誰かが電話をしてくれているであろうと
すっかり油断していたのです

そして
乗り換えの駅で息子に電話をするのですが
応答するのは留守番電話ばかり


???です


早速母に電話したところ母も今日に限って
うっかり連絡をしそびれ今電話したけど出ないと・・



心臓がバクバク言い出しあと一分でくる電車をもどかしく思い
一番近い出口を目指して車内を移動し
降りる駅の一駅前から見えてくる我が家の明かりを確かめようと
電車の窓に張り付いて暗闇の中我が家を探しました



ついてないんです・・自宅の明かりが
ほんとなら息子が帰って一時間はたっている我が家
冬の陽はあっという間に暗闇になるので
そんな訳は無いと何度も目を凝らしましたがやはり真っ暗
駅のホームから無我夢中で自宅へ戻る途中
自分の携帯の着信履歴を何度も確かめ
何度も自宅へ掛け


「絶対転寝しちゃったんだ」

「大丈夫」

「でも・・

何かあったらどうしよう(涙)」


今朝笑顔で送り出した息子の顔がよぎります
そして
自宅の玄関を開けたとき
玄関のたたきの上に息子の靴が見当たらなかったとき
かばんを落としひざが抜けるほど驚き
どこかに早く連絡しなくちゃと携帯を開いた瞬間


「カチャリ」と後ろで玄関が開き息子が立っていました


びっくりして
泣けてくるのと同時に
息子に


「何やってるの!」
「どこにいってたの!」
「ママ心配するでしょう!」


と、矢継ぎ早に息子を叱り付けてしまいました
息子が言い訳する隙もなく・・・
言いながらほっとして泣けてきた私でしたが

息子を見ると息子も大きな目に涙を一杯ためています
ハッとして
怒り過ぎた事を反省したのですが

先ずは息子に理由を尋ねると
今朝渡した鍵を学校に置いてきてしまい
気付いて公衆電話からテレフォンカードを使うも
度数はあれど戻ってきてかけられなかったと



どうしたらいいか分からなかったから
外で学校の本を読んで待っていたのだと
あせって家に帰る私を見つけて
あわてて追いかけた息子を
私はいきなり叱り付けてしまったわけです


玄関で2人してホッとして泣いたそんな昨日でした


ぐったりと二人して疲れてしまったのですが
夕飯を作らねばと息子に尋ねると

どうしても食べたいものがあると言います

いきなり怒った反省もかねて
息子に
「なに?」と聞くと
一つ向こうの駅にあるラーメン!と答えます
ラーメンは夫の専門分野で
私は一度も息子とラーメンを食べに行ったことがなく
そのお店も夫と息子2人で見つけたおいしい行きつけのお店
話しは聞いていたのですが
唐突に言われ
2人だけの昨夜の夕ご飯はラーメンデートとなりました


疲れた足を引きずる体力は残っていなかったのですが
息子と手を繋いでゆっくり歩いた道すがら

今日一日のことや
学校の勉強のこと
明日のことや
縄跳び大会のこと
今頃大阪でパパがんばってるね
東京の空から応援しようとか
パパに会いたいねとか

思いもかけずかけがえのない時間を
息子と過ごすことができました



カウンターしかないお店でしたが息子と並んで座って
水を持ってきてくれたり
食券の買い方を教えてくれたりする息子
2人してワクワクしながら待ったラーメンの美味しかった事


そういえば昔々ほんとに時々でしたが、
働く母の帰りを兄弟三人で迎えにくるようにといわれたことがありました

そんな時は駅前のおいしいラーメン屋さんにいける!というサイン
母の作る夕食も大好きでしたが、これも格別のおいしい思い出
なぜか覚えてるのは晩秋の寒い帰り道です

ラーメンで温まった体とデザート代わりに
隣のコンビニで買ってもらったアイスを食べながら
母と兄弟で帰る道々が嬉しくて楽しかったことを思い出し
今度は私が母となって思いがけず経験することが出来ました

思いがけずの
この嬉しさは息子の頼もしさも感じながらの
母にとってのご褒美日ともなりました



かけがえのない一こま一こまが息子の心に残るといいなぁ
と思いながらの帰り道
お決まりのアイスを片手に

息子が今度はパパと一緒に行こうね
と・・・
言ったとき
いつまで私たちと一緒に行ってくれるかしら

・・・貴重な日々だわぁ・・・

と一抹の寂しさも感じた昨夜でした





そんな最中
昨日の初戦は
新日本石油ENEOS 4-0
勝利を収めることが出来ました
ホッとしました
ありがとうございました



このブログに書いたはらはらどきどきを夫は知りません
留守をしかり守らなきゃ!と新たに誓う私と息子でした。

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2008年11月16日 (日)

ドームへの道

11月13日から開幕した社会人野球日本選手権


夏の都市対抗野球大会に次ぐ大きな大会です
我が新日本石油ENEOSも
春のスポニチ大会で出場権を手に入れ参戦しています





夏の東京ドーム
晩秋の京セラドーム大阪



二つのドームへ向かっての日々の戦いに一喜一憂の一年です
出場権利を獲得することは大きな命題でもあるので
予選が一番きついとも言えるのではないでしょうか
プロから社会人へと色々な野球を夫には見せてもらってきました


結婚当初近鉄の選手だった夫のスケジュールは
春は一月中旬の自主トレから秋は秋季のキャンプが終わるまで
何度もこのブログにも書いていますが全く後ろを(家族)振り返ることはなく
「こんなに家にいないのか!」
と実感した当初でもありました

プロ七年
いないことに慣れるというよりは、
野球選手にとっていないことはいいことだ!
と思いも変わりつつ・・社会人へ
携わるポジションも変わった夫
社会人野球に掛けるその時間はプロのその時代より増えまさに一年中
多分家族がいなければ野球部の寮に泊り込みたいのかもしれません



頼もしくその後姿を見守るのが
私たち家族の仕事かもしれない
忙しいことは有り難い事だと
ユニフォームを着せていただけることに
感謝しながら



新たに気合を入れなおし
今年最後の大会の一試合一試合を応援したいと思います



新日本石油ENEOS初戦は
明日17日第三試合16時30分プレイボールです



目指せV3!!!


皆様のご声援どうかよろしくお願いします

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2008年11月 9日 (日)

同じものを食べるって・・・

昨日11月8日は
私が普段から大変頼りにしている生協
「パルシステム」さんのイベントにお招きを預かり
茨城へと行ってまいりました

その日の私のお役目は
会場に来ている皆さんと親睦を深めながら
私の思うパルシステムの美味しさ、良さを
1ユーザーとして皆さんに語り
コマーシャルでもおなじみの子牛のこんせん君と共に
子供たちやお父さん、お母さんにも
食材の良さを知っていただこう、
興味を持ってもらおう
ということでした


食品の問題が多いこのご時勢にあり
食品に関しては
自分の身を守るのは自分自身、
小さいお子さんのいるお母さんなら
お母さんの役目にもなってきます

そして
自らの手を経て食べさせてあげられる
そんな時期だからこそ

本当に美味しいものを
本物の素材の味を
舌で表情で子供たちに伝えられるのだと思うのです



私がパルシステムに感謝しているのは
懐かしい本物の食材の味を提供してくれるところにあります

これは私が小さな頃
母が働きながらも三人の子育ての忙しい毎日
それでもそんな中季節には季節のものを
トマトやきゅうりやナスなどの野菜はまだ緑の多かった頃の
地元の地野菜をイチゴなどは近所の農園に摘みにいき
食べさせてくれたことをよく思い出します
そこで思い出すのはキラキラの太陽と母の笑顔と
イチゴの箱を抱えて帰る農道です
そして何より本物の味
これは体で覚えています



豊かな緑も田んぼも畑も減った今日この頃では
どんなに目利きでも美味しいものを見分けるのは困難
見た目がきれいで美味しそうな野菜はごまんと並んでいます
味だってそうそんなにひどいものはありません


でも何かが足りないのです
野菜には必ずといっていいほど
ドレッシングや味付けが必要


そのものの味はするけれど
野菜本来のもつ甘みや香りは断然薄いのです

それは私たち現代人が
無難なものを求めすぎた結果にもよるのだと感じています
ドレッシングの味しかしないサラダを食べるのは
あまり好きでなく本物の野菜の味を探してたどり着いたのが
パルシステムの野菜たちです
もちろん疑問、質問、クレームもきちんと対処してくれます


初めてにんじんを食べたとき、はまってしまい
何日も本当に何日も食べ続けてしまいました
生を細く千切りにして塩、胡椒、オリーブオイル、酢 だけの
単純なサラダ
それは甘く香りよく歯ごたえよく自分の歯に感謝するほどの
美味しさが口に広がります
ほかの野菜たちも言わずもがなで

「そうそうこれっ!」
という野菜たちとの再会に嬉しくなるのです

それもそのはず
目利きの役割をパルシステムさんが
代わりにしてくれているからです
香りも新鮮さも違うので食材たちは
「料理してくれ〜〜」
と言ってるかのように見えたりもします


さてそんな欠かせないパルシステムさんの
イベントにお邪魔した私の目に飛び込んできたのは
元気な子供たちと、私と同じ野菜を、食材を愛用していらっしゃる
ママさんたちの温かな笑顔でした

私が何かを伝えると言うより
美味しいものを知っているママたちの笑顔は
柔らかくまるで同士のような気分
大変な子育てだけどもイベントに参加する心の余裕は
きちんと持って親子で楽しんでいるお母さんたちの姿でした

もちろんたくさんのお父さんも
クイズやこんせん君物語の朗読を楽しんで
会場を後にするときとっても後ろ髪引かれましたが
頑張るママさんたちの笑顔は
とても大きな私の心のお土産になりました



体が喜ぶ美味しいものは心身ともに
健康でいられることの約束なのだと思います

息子がこれから大きくなって
自分で自分の食事を選ぶときになって
例えどんなにジャンクなものを食べて
それを美味しいと思ってもきっと多分いつか、
身体が求めるものに気付くはずです
そのときに「これだっ!」て帰ってこれる場所があるように・・
思い当たる味があるように
私は私の思う美味しいものを
息子に食べてもらおうと思います

20081109oh

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2008年11月 2日 (日)

人生初 検察庁

それは10月の終わりの突然のことだった
わがマネージャーのパティからの電話
それは


「検察庁の方から電話があったの!!」

と少々興奮気味に・・・
私とパティは


「とうとうきたね!!」と声を揃えてしまった


そう3月11日に発生した交通事故
はねられたのは私だがこの事故は
いまだ未解決でまさにこれからなのである



というのも、ここからは私個人の経験談なので
全ての事故がこのように値するかどうかは
わからない旨ご了解ください


今年の頭に降りかかった事故は全治三カ月の重傷という
重たく辛い怪我からのリハビリで始まった
幸いなことに見た目での外傷が殆どなかった私は
仕事に復帰する際も


「重傷を負った人間とは思えない」


とみなさんに言っていただいた
ただその中身は
この夏の終わりまで病院に通い続けリハビリをし、
今だ続く治療の日々なのである
こうパソコンを打つだけでも、
30分パソコンに向かうと降りかかる
左の首筋から左肩甲骨に向けての痛みは
取れることはなく増すかのようで、
手を休めること数知れず



書き出せばきりがないものではあるが
いつまでも、痛い痛いと言っていたくはない
時間とリハビリが解決してくれるものと思っている



と、同時にこの事故のすべてを早くすっきりさせたい思いを
ずっと胸に抱え過ごしてきた
その胸中はマネージャーのパティも一緒だ
すっきりさせる・・とは
私も初めて知ったのだが事件、事故、は
警察での捜査、現場検証、それぞれの調書を取り
それが検察庁へと上がりそこでまた検察官の皆さんによる
捜査、被疑者、被害者ともに事情聴取を重ねたうえで、
事件、事故の決着へと導いてくれるところである



ニュースや新聞などでよく見る「検察庁」が、
まさか自分に降りかかってくるものだとは思わなかったけれど
すべては警察で終わるものだと思っていた私の知識の浅はかさが
恥ずかしかった
あまりに進まない
(と思っていた)事故のその後に
警察署の刑事さんに聞いてみたことがある


「この事故はいつはっきりするんですか?」


その答えは


「もう検察庁に送致してありますから、じきに連絡が来ますよ」とのこと


そう、新聞やテレビで報道されるのは起こった瞬間だけのもので
そこから始まるのはこの事件の全容を検察庁で
しっかりと裁量されるところまでなのである
一瞬にして起こってしまった事故
自分がどうだったのか、どうして巻き込まれてしまったのか
これをはっきりさせてくれる場所でもあるのである


その時機を待つこと数か月・・・
待ち焦がれた連絡は10月の終わりだったのである
私の仕事状況を考えてくださってか、
まずマネージャーさんへ連絡と気を遣ってくださった
「S副検事」
マネージャーのパティは
是非本人の口から直接状況を聞いてやってくださいと
検察庁に行かれる日時を伝え初の検察庁へとなった。
霞が関にある検察庁は1,2と二つあり
様々な人が出入りをしているが浮足立った感じは全くなく、
その時なぜか道路端にはテレビ局の中継車
数台・・・



みな真剣な面持ちで、
入口を挟むように立たれた警護の方の間を軽く会釈しながら、
時には要件を申し出ながら通り抜ける
きれいで、余分な飾りなど一切ないロビーに受付があり
そこにて行くべく検事さんのお部屋を告げると
すぐに検察事務官の方が迎えに来てくださるという



あらわれた事務官さんは華奢なきれいな女性で
「どうぞこちらへ」と誘導して下すった
向かうエレベーターの中
いつもは冗談の一つも話さないではいられない私だが
いろいろな思いの方が乗るであろうエレベーターなのだよなぁ・・・

(私もその一人だ)
と思うとついつい押し黙り
観察に徹してしまった
通されたフロアには幾つもの部屋があり
自分の事故の担当検事さんの部屋へと通されるわけである
事故当初このブログにも書いたが
この事故に対する自分の感じた真実すべて、
その言い分は警察、検察の方々だけに話し
その一切は絶対に口外しないと決めていた。
事故後の報道に、傷ついたこともあったが真実は一つであるのだから
それを一番認めてもらいたいところに聞いてもらえたらよいのである
私はこの七カ月の思いを胸に今日の日を待っていたのだ


私たちの前に現れたS副検事は


「お忙しいところありがとうございます」

と言ってくださった

「この日を待っていました」と私

正直になぜ、こんなに時間がかかったのかを聞いてしまった
するとS,副検事からの答えは


「3か月の重傷、しかも、骨折と聞いています、
 事故の状況ももちろんですが、
 けがの状況の回復具合も考慮してのこの時期となりました。
 けがの重さも、経過も、含まれるからです」
と・・・・

逆に
「待って」いて下さっていたのだ

「納得」という言葉が嬉しく頭に響いた


とうとう始まった事情聴取
私の体験した一部始終をうなずきながら
じっくりと聴いてくださった
S副検事が実際に私の事故現場に
立ってくださっていたこともわかり
検察官の方の仕事の深さ大変さを思い知った
私は話しながらポロリ、ポロリと
心の澱がはがれていくのを感じていた
全二時間をかけて話し終え立ち上がった瞬間
見回した部屋のあちこちには整然にも山と積まれた
たくさんの事件、事故の調書の数
そう、私だけではないのだ
それでも、事件事故の数だけ関わったあらゆる人々に
寄り添いかつ冷静に、真実を見失うことなく検察される
第三の眼はとても鋭く深いものでした



帰り道、霞ヶ関の青い青い秋の快晴が
事故後初の生まれ変わったような心のすっきりと重なった



ほんとならもう二度と訪れてはならない場所なのかもしれないけれど
私には思い出深い場所となった


これからは新聞、ニュースに出てくる検察庁という言葉に
もっと関心を持ちたいと思う
あの建物の中で今日もたくさんの検察官の方が
一つでも多くの事件を解決の道へと
尽力される姿を重ねずにはいられないのだから・・

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