いくつもの夜を越えて
朝三時、まだ明けきらない真っ暗な朝に何度目が覚めただろうか
早すぎる病院の朝は静かだけども、
どうしても、寝付けなくおきてしまう
この三週間はずとっとそうだった
そしてとうとう退院のこの朝にも覚めるのは決まってまだ暗闇の中
今日は退院するにあたり事故から今日までの書ききれなかった思い
書いていこうと思います。
何の虫の知らせも無かった
母に今日は夕飯作れるから待っててねと、
玄関で言い残して出た
あの事故の日搬送された救急車の中では
受け入れ病院を探すトランシーバーが交錯し
決まった病院へスピードが上がったのを覚えている
運ばれる間仰向けに寝た天井には、
首都高のお腹のくすんだ灰色がどこまでも続いていた、
夢じゃないかとくすんだ灰色がどこまでも続く夢じゃないかと思いながら
頭の中は、仕事に遅れる、どうしよう・・そればかり
仕事への思いは、うなされるほど強烈だったと思う
頭をかなり強打した為、片腕が、左の側頭部を
抑えたまま手が動かなくなっている、
左足のひざが外側に向いて曲がり、どうしてもまっすぐ戻せない
痛みよりも、今日のこと、明日からのこと、
来週に行くインドでのロケ
仕事が無かった時期が長かったたっめに、
私を選んでくれた、だいじなスタッフさんの顔が目に浮かぶ・・・
絶対休めない!
ストレッチャーに載せられ、入った、救命救急室で、
よぎるのは頭と、立てさえすればすぐに復帰できるとそればかり、
足のレントゲンをとるとき、技師さんが優しくひざに触れたときの、
味わったことの無い痛みで
「まずい」
とは思ったけれど
続けて頭のほうへ
内部CTでとり、程なく、先生がやってきて、
頭の中は大丈夫ですが、今後のこれに気をつけてくださいという、
読めば恐ろしい症状の数々。
続けて足のレントゲンの結果を
ストレッチャーに寝かされた私は、立つこともままならず
寝たまま先生の話を聞いていた
「折れてますね、ひざのちょうど真ん中靭帯をつなぐところの骨がはがれ折れています、
ここは救急病院なので、詳しい検査は、お近くの新たな病院で受信されてください、
1から4度の悪さの中では三に限りなく近い二と三の間です、三であれば手術です」
ストレッチャーの上で聞かされた言葉は
あまりにもショックで涙だけで口が利けなくなってしまった
足にギプスをあっという間に作られ、
太ももから足首までまっすぐ伸びた状態になり
程なく駆けつけた、東京のわからない道をたどり着いた父の顔
(たまたま自宅に来ていたのだ)
そして、母、息子、息子は足を見て、これ痛い?と聞いてきた。
うなずくのがやっとで、言葉が出ない
大事な大会を控え練習中の夫も、駆けつけた、
又どじな私への怒りと、ホッとしたのが入り混じった顔で
頭をなでた
次に名古屋を飛び出し新幹線で駆けつけたまいまいが走りこんできて
「命があってよかった」と泣いた
あまりのその日の出来事に、テンぱってしまった
私たち家族はひとまず、明日次の病院へとむかわざるを得ず
清算の後病院を出たもう
事故から五時間近く過ぎていたとおもう
これがあの日
私にとって覚えていることである
私を連れて帰る夫は、私の手を握り
「ひざならばM先生しかいない」
と手配を始めた。
「明日すぐいらっしゃい」
と言って下さった先生の言葉を頂き
「大丈夫だからな」とつぶやいた
その夜、自宅に運ばれ寝かされた一階のベッド
引越しの準備がやりかけの二階には、
もう二度と、上がる事はできなかった
その夜、痛みと、熱にうなされた私は、
次の日、M先生の待つ病院へ
大変に忙しい海外出張に行かれる直前の最中見ていただき、
「即入院」を言い渡された
又新たな骨折も見つかった
覚悟はしていたもののあわただしく動く現実と、
頭の中のギャップがありすぎて
ますます口が開かず
病室へ案内されるまで、何も考えられなかったといってよい
お昼に、マネージャーから連絡があり、
「お昼のニュースに出るから」
「え!!」
「どうして!」
もう彼女もてんてこ舞いである
ただでさえチーフとして一人で色々と仕切っている中で
タレント一人の私の個人会社マハロカンパニーの、ために、
日々尽力してくれてきていた
今回の件では
電話が鳴り止まない
ホームページは、パンクする
タレントは、落っこちてしまって、上手く口も利けない
もう、もう、全て体当たりの嵐のような一日だった。
マネージャーは泣いてなどいられない
もちろん余波は次の日まで続き朝から何度となく
出てくる自分のニュースに
私の言い分として紹介されている箇所が何度かあったが
私は事故から、ここまで、事故のことは一切誰とも「話していない」
同じマスコミにいる人間として
私の言い分って、「誰の言葉」なんだろうかと、
それにもとても傷ついた
私が事故のことで
一番最初に覚えている限りのことを話すのは警察の方だ。
と決めていた。
それでも、続く報道には、私の言い分が載っている。
不思議だ。
今でも、私の話す真実は全て渋谷警察の方にお話してあるまま
公にはなっていない
相手は一般の方だ
傷つけてはいけない
そして
全治三ヶ月と診断された私の入院生活が始まった
とはいえ、丸々三ヶ月入院するのではなく絶対安静を通り越え
リハビリが始まり
足に体重が少しでも掛けられるようになれば、
退院のめどが立てくる
まさに今が、今日となった。
今片足特別な装具をつけ三分の一の体重を乗せて、
松葉杖の欠かせない毎日を送っている
骨がつき事故前の状態に戻るには、
半年ものリハビリを乗り越えなければならない
でもしっかり治さねば、先生方の努力の結晶が無駄になる、
使って、不安なタレントなんぞを誰が使うか
だからしっかり治す。
退院を前に思うことは
病院というこの場所の深さ、素晴らしさ、
私はあくまで、外科病棟に入院していたからだとして聞いてほしいが
明日を夢見て頑張る選手の皆さんと一緒だったし、
もちろん、おじいちゃん、おばあちゃんも、日々、治療に専念
私も、そうではあったけれど
最初の一週間で、痛みと腫れが「高圧酸素治療」のお陰か、
驚異的に早く炎症が収まっていったといってもよい
それに、打撲の痛み
左の頭からあごにかけてはカラフルな打撲こんも残ったけれど、
これも、数日して収まってきており、
首の捻挫はシップと痛み止めでしのいでいる
よく言う、額関節という、あごの付け根に走る痛みは
まだ少しかかるようだけれど・・
最初の一週間はそうすぎていった、
痛みと、酸素と、リハビリと・・慣れようと必死だった
二週目に入り襲ってきたのが、
痛みが落ち着いてきたことによる精神的な「落ち」だった
「話せない」「しゃべれない」「眠れない」
気持ちの温度が不安定になってしまった。
これを支えてくれたのが、私を支える、外科病棟の看護師さんたちでした
夜中に覗くと起きている私、看護師さんは
眠れない私の話を、たくさん聞いてくれた、真夜中も、朝方も・・
私もなぜ自分が眠れないのかわからない状態で、
昼寝もしていなかったからほぼ一日中起きている事になっている
あるとき、いただいた手紙の中に、
「早く心身ともに元気になってください」と言う一言があった
そう、「心」だ
心が今、ショックを受けてるんだと気がついた
こっちのが厄介だった
お医者さん看護師さんリハビリの先生
マネージャーと夫としか話せない
メールは打てるが、電話に出れないという状態。
軽々しく、心身ともに健康で・・なんて言葉はよく使っていたし、
その意味も、判っているつもりでいた。
この、心身という言葉の深さを身に沁みて判ったのも
この時期だったのかもしれない
体が治ってきてるのに、心が泣いているのだ
このときばかりは、私と一緒に、マネージャーのパティも、一緒に初めて泣いた。
ちょうど、報道や、怪我のことや、二十周年の記念カードの制作途中だったことや
とにかく色んなことが去来して2人で、一回だけ病室で泣いた。
でも、これも今、日に日に、回復している。
泣いてなんていられないんだから
いろんな症状と向き合う事で自分の体とより仲良くなり
そういった、あせりや、閉塞感はその気持ちがわかるものとして
これから私の生きていくうえでの糧になる
インタビュアーという仕事を数沢山こなしてきたけれど、
人に話を聞くということの難しさ
そして、本当に伝わる感動やいい話は誰でも、一つは持っている
要は聞き方だ
喋り手と、聞き手の距離感も大切
頑張っている話を、入院しているおじいさん、ばあさんからも、
若い人たちからも、沢山聞いた
多種多様で、泣かせるいい話だった。
すぐ仕事に結びつける癖があるが、そうではない
これから出会う、たくさんの方々と、向き合い、本音で、話しを聞いていきたい。
そして、人生の先輩方に、本当に沢山励ましてもらった
廊下で、待合室で、洗濯室で・・
「頑張んなさい」
「頑張んなさい」と、握手をして別れた皆さんとの出会い。
いつでも、いつも、声を掛け、目を掛けてくれる
看護師の皆さんがいてくれることの安心感や笑顔
先生方の明るさと真剣さ
病院は体だけでなく、心も、癒してくれる場所なのだと
いい病院ランキングなんていう本が出ていたりするけれど、
それは先生方の確かな腕も、もちろんではありますが
患者は人間だもの、体だけではなく、心も、傷ついている
技師の先生方や看護師さん売店の方や配膳さんに、
ごみをあつめにきてくださる清掃の方々
警備員さんに至るまでの皆さんの暖かな眼差しと、思いやりと、
暖かなお声掛け、のお陰で、ここを出るのが名残惜しくも感じ、
いようと思えばもう少しいられるこの病院ではありますが
現実には新学期が始まる、この春は引越しだったので、
息子と共に、力を合わせて二人三脚での、電車通学に
最初は付き合わねばならない
前のブログにも書きましたが、
私自身は「ゼロ」のときです
三週間感謝に感謝の、毎日と、これから続くリハビリへの期待感
そして、この病院に出会えたこと、
しっかりと、治すことが、各先生方看護師さん、
技師の先生方への恩返しです。
また、どこぞの誰かもわからないおばちゃん状態でも、
一緒にリハビリに励んでくれた皆さんの更なるジャンプアップも
心から祈っています。
この気持ちを忘れないで
又しっかり歩いていこうと思います
「頑張れば夢は叶う」
本当に、ありがとうございました
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