母の日に・・お母さんへ
お母さんいつもありがとう
母の日でなくても毎日毎日感謝しています
小さな頃は歌の大好きなお母さん
目覚めてから眠るまで常に笑顔と歌を振りまき
服や、食事、おやつに至るまで沢山のハンドメイドと
考えれば二十歳そこそこの若いママ
生まれてから
一度も切った事の無い長いロングヘアーは私と母の自慢
朝ごはんを食べる私の後ろに回り
三つ編み、編み込み、ポニーテール毎日が作品
私が五年生になり夏の野外学習に向けある日勝手に髪を
短くしたときはお母さん、泣いちゃったっけ
歌が大好きなお母さんに習ってかいつの間に
私にとって歌は欠かせないものとなり
夢だった歌手という職業を現実にしようと動き出したときも
表立った応援はしないまでも反対はしなかった母
歌手デビューをかけたオーディションの決勝に進んだときも
家族は皆それぞれの仕事をし
私は一人東京の決勝戦へ
賞を頂き
歌手デビューに上京を決め家族に報告したとき母は、
「見に行ってあげられなくてごめんね」
と・・
上京するとき大好きなピンクのスカートに
フリルのブラウスをもたせてくれた母
そこから丸十一年ほど結婚するまで
東京での一人暮らしが続きました
沢山心配をかけました
思うように進まぬ芸能生活の中でも絶対に、私を焦らす事無く
体は大事にと
ダンボールに沢山私の好きなお菓子を送ってくれた母
絶対に過去を振り返らず
こうすれば良かったなどと言わなかった父に母
仕事が少しづつ増えだして喜んでくれた事
仕事に、恋愛に悩んだときも一緒に笑い、又慰めてくれた母
一番の、厳しい視聴者でもあった母
仕事が命の私が結婚すると言った時は少々驚いたようですが
それでも言い出したら聞かない私のこと
沢山の着物を嫁入り道具に用意していてくれたのには
正直驚きました
そしてすぐの妊娠に出産
私は母を四十台でおばあちゃんにしてしまうのですが
息子が生まれてからは尚の事、仕事を続ける私にとって
母は欠かせなくなりました
私は子育てを本当に手取り足取り助けてもらい
容赦なく全国の仕事先へ出かけ・・
というか、殆ど息子は私の父と母が目に入れても痛くないとは
この事かとばかりに一緒に子育てをしてくれました
小さい頃の発熱、発達、発育で立ち止まる度
「大丈夫、大丈夫」と支えてくれた母
ある日いつものように仕事に向かう私が玄関先で
息子を抱いた母を振り返り
「ごめんね、ママ仕事に行って来るねと」口走ったときでした
母は
「仕事に行くのに、ごめんねなんて言わなくていいでしょ!
ママは頑張ってくるからあなたも頑張って待っててね」
と言いなさいと
「あなたは悪いことしに行くんじゃないでしょ!、
謝らないで、仕事には胸を張って出掛けなさい、
それに空は可哀相なんかじゃありません」
と
娘として、母として又、女として潔く私に意見を言う母
それ故にけんかになることも多々ですが
それでもいつも明るく元気に家族の太陽となってくれた母
当たり前だった元気印が長年の疲れで昨年病を患ってしまいました、
普段病院にはご縁が無く
「どうして母が」と、
経験したことの無い衝撃に揺さぶられましたが
立ち止まってなどいられません
今度は私の出来ることを出来る限りやる番です、看病も、そして仕事も・・
母の大好きな私、やっぱり仕事をしている私
母が大きくしてくれたといっても過言で無い息子は
眠る母の布団を掛け直してあげられるくらいになりました
おかげさまで少しづつ元気になってくれているかのようです
ここで又私は思います
母は又私に、
家族に抗えない病にかかってしまった家族をもっている人の気持ちを
教えてくれたのだと
他人事ではないのです
又いつまでも元気で当たり前でもないのです
又目が覚めたような気がします
全てにおいて感謝しかないこの気持ちを今年はどう表現しようかと
お母さん本当にありがとう
私にとっては毎日が母の日です
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